2011年10月31日月曜日

串本町は長い

今日は西へ
串本海中公園

いつもは紀伊半島を東に行くのだが、違う景色も見てみたいと思い、今日は西に行くことにした。10キロほどで串本海中公園に着いた。月曜日のためか、駐車場はガラガラ。そういえば、今日のローカルニュースで、紫色の伊勢海老が捕獲されたとのこと。明日からここで一般公開されるそうだ。伊勢海老は生涯で数十回の脱皮をするそうで、次の脱皮で色が変わらなければ、一生その色のままらしい。普通の伊勢海老は生きている時は赤茶色で、茹で上がると鮮やかな赤になるのだが・・・・
ここから坂道が延々と続く。

インターバルトレーニング

こんな坂道が延々



  海中公園を過ぎたところから坂道に入る。ものすごい急坂ではないが、ダラダラと上る。上ったと思ったら、すぐに下りに入る。下り坂は気持ちいいのだが、すぐにまた上ることになる。
陸上で、一定の距離を全力で走り、しばらく歩き、それを繰り返すというインターバルトレーニングがあるが、まさしくそれ。
ただ、救いは距離がそれほど長く続かなく、500メートルほどの距離で30~50メートル上がる感じ。



南国的

見てそのままの名前「双つ島」
  しばらく行くと景勝地「双つ島」が目に入ってきた。見たままの名称だなあ、と思う。
その手前にフェニックスの並木があったので、南国風的にフェニックスを入れて絵にしてみた。


青々とした山並み

紅葉はないのかな
  山側を撮ってみた。緑の山だ。少し色が変わっていそう場所もあるが、基本的には常緑樹だから紅葉はないのかな?
紅葉を見に行くにはどこに行ったらいいのだろうか。
夕暮れが早くなった
  帰り道、家まで2キロほどの地点で海を見た。日没までは少しあるが、この地点だと海に沈む太陽が見える。今日は、逆光で海がキラキラしてなかなか良い雰囲気だ。あと1時間ここにいれば海に入る太陽が見えた、かな。近くにいながら知らなかった。我が家の近くでは海からのご来光が臨めるので、よい場所に住んでいるのかも・・・
 それにしても串本町は長い。海岸線だけで30キロ以上はありそうだ。今日は「すさみ町」に入ったので、古座川町、紀伊勝浦町、太地町に続き、4町を制覇。走行距離は、53キロ。

2011年10月28日金曜日

大島は平地がない

いざ大島へ
ループを上って大島へ
一昨日から、いっちゃんが上京しているので、思い立って先日下見をした大島の樫野に行くことに。下見で大変だとは覚悟していたが、やはりキツい。昔は、「ここは串本、向いは大島、中を取り持つ巡航船」というように、船でしか行けなかった。しかし、道路が開通し、陸続きになった。高校生の頃、台風が近づくと、大島の生徒は早く帰宅できるのが羨ましかったな。現在は余程のことがない限り通行止めにはならない。


 橋を渡ったら大島。すぐに坂道が続く。しかも急坂だ。(左のような坂道)
大島は平らな道が全体の10分の1もないぐらい坂道が多い。その坂道は徐々にではなく、急に上り、上ったと思ったらすぐに下る。
そんな感じで樫野埼まで続く。
海金剛の荒々しい景色


寄り道をして海金剛へ
樫野埼の手前で、海金剛の看板が見えたので、そっちも見てみることにした。
太平洋からの強い波で、三角形に尖った岩が目に付く。ここから遠くを見ると、かすかに樫野埼灯台が見える。


樫野埼に到着
 樫野埼には慰霊碑が建つ。(詳しくは下の説明を参照)
近くにはトルコの記念館やグッズを販売する店が数件ある。「のびーるアイス」というのが有名らしい。


エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号(Ertuğrul Fırkateyni)が現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件である。この事件は、日本とトルコの友好関係の始まりと考えられている。
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばにはエルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。

上と下に海が見える
串本は陸繋島(リクケイトウ)
大島から下ってくると、串本の町が見える。串本の町の上側と下側に海が見える。
 ちょっと面白いので、写真を撮ってみた。右上に見えるのが紀伊半島、大阪方面。
 今日は25キロしか走ってないが、なかなかハードだった。

2011年10月25日火曜日

太地町までの往復

太地町まで遠出

鯨の風車
珍しく風が気にならない。いつもと違い行きは緩やかな追い風を受けて順調に走る。行き先を決めないで出たが、新宮方面に向かう。調子がよく時速27.8キロで走れる。いつもの喫茶店が12キロ地点だが通り過ぎた。岬をいくつか周ると紀伊勝浦町の看板が見えた。とにかく行けるところまで行こうと決める。この辺は面白い土地で、紀伊勝浦町から太地町に入り、国道をそのまま行くと再び紀伊勝浦町の中心に入る。今日は、太地町に入った後、太地の中心街と紀伊勝浦の分岐まで来て、折り返すことにした。
 分岐のところには右の写真の鯨の風車がある。でも、同じものが串本の「ロイヤルホテル」の入り口にも設置されていて、ロビー発電量などが見られるようになっている。

ここまで27キロ。自宅から坂道が7つか8つあり、上りきれば下り坂が待っているのでほっとするが、やっぱりかなりきつく感じる。ただ、上り坂を嫌っていてはこちらでは走れないので、慣らしていくしかない。途中、珍しく渋滞していると思ったら警察の取り締まりに事故渋滞が重なっていた。
橋杭岩に光がさす
 
 串本町に入り、遠くを見ると橋杭岩に光の帯が差し込んでいるのが見える。さっそく自転車を停めて映した。
 良いカメラがあれば、もっと素晴らしい感じにとれたのに・・・

 帰りもそれほどスピードを落とさずに到着。今日は、前回よりもさらに距離が延び、54キロ。風がそれほど吹かなかったので、割と楽に走れた

2011年10月22日土曜日

樫野埼灯台に

樫野埼までの下見

樫野(かしの)は大島の太平洋に面した地区。そこまでは約10キロの距離にある。樫野埼灯台へは車では何度か行ったが、とにかくアップダウンのある道だったことを覚えている。今度自転車で走ろうと思っているので、今日は下見に行った。串本大橋を渡ると、すぐに上り坂が続く。上ったと思ったら、すぐに下り坂。そして、また上り、下り・・・・とにかく平らな道がない。
 樫野埼灯台は、改修工事が終わり、きれいになっていた。 天気がよくなったら走ろう。
  灯台に上って太平洋を見ると、海の色が分かれている。右側の黒い部分が黒潮の色。左側の明るいところは、左後ろの古座川からの色。写真では少ししかわからないけれど、実際に見るとハッキリと分かれていたのが何とも印象的。




【樫野埼灯台について】
 「日本の灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し、1870年7月8日明治3年6月10日に初点灯した日本最初の石造灯台である。日本最初の回転式閃光灯台でもあり、その初期の建物が現存している。
 


これで300円 !

 樫野埼灯台の駐車場で、近所の百姓さんがやっている販売コーナーを発見。擦れなどで市場には出せない品を売っているのだが、その安いこと。1ネット100円。だから、何とこれで300円。《安い!しかも甘い。》 そこの叔母さんが、そばでみかんを選別していたが、いくつかサービスでくれた!!!
 
 店で買うのが馬鹿みたい。また買いにこよう。

2011年10月18日火曜日

パソコンにトラブル発生

電源が入らない
10月11日朝、昨日まで順調だったパソコンのスイッチを入れても電源が入らない。近くの電気店に持ち込んだが断られた。思案していると、古いパソコンの存在を思い出した。子供に連絡し、急遽送ってもらい、やっと復旧した。5年以上前のもので、難点も多いが修理が済むまでは文句はいえない。


畑の今
 畑は、海抜10メートルぐらいの高台にあり、海からの風が強い。その風除けのために板塀を作った。
 材料は、先日、重畳山へのサイクリングの帰り道に製材所があり、敷地に端材がまとめられていた。だめもとで、譲って貰えないかと聞いたところ「いいよ」との返事。翌日、さっそく車で運んできた。
 畑の向こう側の板塀を張っていった。材料が余ったので、海側にも看板のような板塀を作ってみた。
貰った材料にしては上々の出来上がりと、自画自賛。

一枚岩を見に
大きくて入らない
 火曜日はいつも一人での走り。前回、古座川の途中まで行ったが一枚岩まで行かずに帰ってきたので、今回は一枚岩を見に行くことに。同じ道を行っても面白くないので、紀伊半島の左側、国道42号線の「高富」から山に入る。ここからは12キロ。ダラダラ坂が3キロばかり続いていたが、重畳山クライミングを経験しているので、息は上がったが、なんとか峠まで上る。そこからはズーと下り坂。今まで苦しかったのがウソのよう。
 NHK・BSで、火野正平さんが自転車で旅をしているが、その様子とダブる。上り坂は苦しく、下り坂はルンルンと。
 本家のオーストラリアのエアーズロックは見たことがないが、日本の一枚岩もなかなかの迫力で迫ってくる。デジカメで撮ったが、全貌が入らないのは残念。是非、自分の目で見て。
 帰りは、川沿いの道を下る。清らかな流れだけど、台風12号の時は、ものすごい水量だった。
古座川の静かな流れ
道路は、川からかなり高い所を走っているのに、道路脇の木の2.3メートルのところに漂流物が着いているが目にとまる。
 古座川では死者は出なかったけれど、物的な被害は相当なものだというのが実感できた。
 道沿いに「ぼたん荘」という温泉施設があるが、こちらも今改修中で、11月1日からの営業と張り紙がしてあった。
 今日は、帰郷して最長の40キロを走破。
 

2011年10月10日月曜日

二人でサイクリング


古座川は被害が大きかった

串本は今日まで祭
 昨日で地区の祭が終わった。久しぶりに自転車に乗ろうという ことで、二人で走った。串本の町中を走っていると祭の一行に遭遇。こちらは一日遅いということだ。揃いの浴衣は、当然デザインが違う。こちらは「串本」の字が入っている。こちらの獅子舞、笛、太鼓ともに静かな感じ。昨日までの賑やかさから一転、静けさが漂う。皆の飲み方が足りないのか。小中学生が少ないのもあるかも。所変われば・・・ということか。


古座川河口

  前回二人で走った田原まで行こうと出発したが、途中で進路変更し、古座川を遡ることにした。
 古座駅前を右折し、橋に出る。途中で留まり、河口付近を写した。このあたりも、先の台風12号で大きな被害がでたところ。
 しばらく行くと、古座川町に入った。川を左手に見ながら遡っていくと、また橋があった。看板があり、ここから上流に12km行くと日本のエアーズロックといわれる「一枚岩」があるらしい。
 
台風の爪痕


 行こうか迷ったが、今日は断念し、ここで橋を渡り、対岸を下った。  川岸を見ると、護岸が大きく壊されており、そこの復旧工事の途中らしい。
   
樟樹の大木と

 少し寄り道をして、地主神社の前を通った。そこの境内には樹齢500年と700年の大きな「樟樹」の大木があった。記念撮影などをしている間に何か所も藪蚊に刺されて大変な目に。
 
 今日もまだまだ慣らし運転で、走行距離は約30㎞。
次回は一枚岩を目指して頑張ろうと思う。 


 

2011年10月8日土曜日

初めての祭参加

村祭が始まった
神社に奉納


 10月7日の宵宮から始まって、9日まで朝貴神社の恒例の祭。40年ぶりの故郷で暮らす生活は、色々と初体験のことが多い。子供のころは祭は見るものだった。そういう訳で、参加するのはこの歳にして初めて。
 神主の御祓いの後、境内で獅子舞を披露。笛と太鼓は「獅子舞保存会」で小学生から教えられている。
 揃いの浴衣に着替えて参加する。お神輿は、小さな村の祭からか、かわいらしい。前後2人ずつで担ぐ。



境内で獅子舞を奉納
熱が入ります
                    
 神社から出た後、地区ごとに回っていく。各地点で獅子舞を舞っていくので、1時間はかかる。
 今日は8地点で舞ったので、全部が終わった時は午後8時をまわっていた。朝の8時ごろから12時間だ。 






大根の芽が出た

大根の芽が出た
大根の芽
  1週間前に蒔いた大根がしっかりと出てきた。
10年以上荒れるにまかせていた畑(開墾する前は笹薮)の開墾に5月から取り掛かった。笹や葛の根で、せっかく買った家庭菜園用耕運機が役に立たない。鍬で少しずつ掘り起こし、7割ぐらいは畑になった。
 夏前には、ピーマン、オクラ、ナス、キュウリ、モロヘイヤを植え、収穫した。ただ、台風15号でキュウリとピーマンはダメ。ナスは今復活し、また実を付け始めた。オクラは元気に今も食卓を賑わせている。
 秋から冬に備え、大根、ホウレンソウは種まき、キャベツは苗を買ってきた。ずっと休眠状態だったので、土が肥えているのか、肥料を与えなくても作物がよく育つ。


畑の周りに柵をした

タヌキ対策の柵

タヌキの足跡

 この辺りではタヌキをよく見かける。昨日も庭でガサガサしているのでなんだろうと見るとタヌキ。庭に成っているグァバを目当てに来たらしい。しかも人間様をあまり怖がらない。
 昨日は畑にタヌキの足跡がクッキリ。今は何も食べるものがないのに来るとは。偵察に来たのかも。
 夏には、せっかく育ったキュウリを何本も食べられた。先日、畑にキンカンとレモンを植えた。両方とも実がなっている状態なので、熟したらタヌキに食べられてしまいそうなので、思い切って周りに網を張った。どうせするなら早くしておけば良かったと思っても後の祭り。これで大丈夫、のはず・・・



2011年10月5日水曜日

重畳山ヒルクライミングに挑戦



重畳山ヒルクライミングに挑戦


中央が目指す重畳山
 今日は、いっちゃんが都合で走れず、一人での走行。前から気になっていた重畳山(かさねやま)へのヒルクライミングにチャレンジすることに。家からは、きれいな稜線が見える。小学校の頃に、遠足で一度だけ登ったことがある。

あと4㎞

 古座まで走り、神の川(このがわ)の重畳山登山口の看板を左折し、JR の線路を渡ってしばらく行くと山道に入る。いよいよクライミングだ。海抜5mから登り始め、頂上は303mまで4㎞を一気に登る。急になったり、少し緩くなったりしながらずっと登る。急なところでは時速が極端に落ち、10㎞を超えない。
何度も休憩しようかなと思うが、とにかくあえぎながら休まず登った。

 

中央の橋はくしもと大橋

 やっとのことで頂上の展望台に到着。眼下を見下ろすと、今走ってきたところが良く見える。また、自宅付近や潮岬の半島や、大島の全景がパノラマ状態。疲れも吹っ飛んだ。

 帰りはスイスイとはいかない。坂道が急な上にカーブがきつかったり、路面がガタガタしているところがあったので、ブレーキをかけながら下ったので案外疲れた。帰りの平坦道は追い風でスイスイ。楽に30㎞は出た。
 この近くでは、那智山や熊野古道を走る本格的なものがある。那智山だと800mを超えるので、300mでアップアップしていては実現は難しい。川越では荒川の土手の平坦地ばかりだったので、まだまだ慣れない。
 今回、走行距離は約30㎞だが疲れは相当ある。


「萩」の花が咲いていた


セルフで撮ってみました